更新日:2005年12月27日
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風早神社と明治神社そして上本郷獅子舞の由来

風早神社

有名な平将門の一族の子孫に、千葉介常胤という当地方の豪族がおり、源頼朝の鎌倉幕府樹立に大きな貢献をしたことは有名です。その常胤の孫に風早四郎胤康という者がおり、その子の康常と共に今日の上本郷の地に館を設けて風早庄を支配しました。風早神社はこの館跡に経津主命を祭神として勧請したものです。ところで、"本郷"の地名は風早庄とか風早郷とかいわれたその中心という意味から起こったもので、上本郷の"上"は江戸時代に同国同郡の今日の船橋市内旧本郷村(下本郷村)と区別するため付けられたものです。また神社周辺の惣台の地名は、風早神社が下総国の四ノ宮であり、風早庄百十九か村の惣(総)代社であったことから起こったものです。風早神社はその後、戦国時代の小金領主で小金城主の高城氏から三百石相当の社地を受領し、徳川家康からは五石の朱印地を寄進されて庇護されています。この地頭で旗本の佐野氏からも寛文(1661年)以来度び重なる社殿修理に協力を得、ことに元禄八年(1695年)九月の祭礼にはおみこしの寄進を受けたという記録があります。

明治神社

現在の祭神は国常立命ですが、神仏混ごう禁止によって明治五年に社名を改める前は、妙見社と称して妙見大権現とか妙見大菩薩を祀っていました。妙見様は平将門以来、千葉氏とその一族が守護神、戦神として熱心に信奉し、自分の館とか城の付近に必ず祀ってきたものでした。ということはこの社付近にも城か館があったということで、よくよく調べてみますと、確かに西側一帯に中世城郭の遺構が見受けられます。現在、千葉氏氏族高城氏の本郷存在説が話題となっています。なお史料としては、元禄十五年(1702年)二月の当社造営記録があります。

上本郷の獅子舞

獅子舞は全国各地に広く分布していますが、当地の様な三匹獅子舞は関東から東北にかけて多く、盛大になったのは江戸時代中期以降といわれます。その起源もいろいろと説がありますが、農村の作物を荒す鹿を捕えて肉を食べ、その頭を神への生けにえに供え、その後に鹿の頭を作って踊らせ、逆に五穀豊穣を祈らせ祝福させ、併せて村からもろもろの悪魔を退散させる行事となったといわれています。市内では上本郷のほかに和名ケ谷の日枝神社、大橋の胡録神社で舞われ、いずれも猿(他では天狗・山伏)が重要な道化役を演じ舞を導きます。とくに当地の獅子舞は明和七年(1770年)九月の奉納の記録がありますから、少なくとも二百三十年以上の歴史があるということになります。昭和四十四年四月には市の無形文化財として指定されました。(松下 邦夫)

風早神社・明治神社 奉賛会

 

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